願望と執着とその時のベストを尽くすことについて\(^o^)/
表題の件について、別に誰かに何かを言われたわけではないのですけど、
ここ半年故障続きだった間に色々と考えることもあり、
良い機会なので備忘録として残しておきます\(^o^)/
目次
(1)願望を強く持つこと
(2)願望に執着せずに柔軟であること
(3)吾唯足るを知る
(4)その時のベストを尽くすこと
(1)願望を強く持つこと
「引き寄せの法則」「思考は現実化する」など
様々な言い方はありますけど、
適切な目標なら強く願うことで叶うことはあると考えています。
というか、まずは強く願い続けないと
困難なことは達成できないと思っています。
そのあとに行動をし続けること、
考えてより良い方向性を定め続けること、
も勿論必要になりますけど\(^o^)/
要はマザー・テレサの有名な言葉ですね。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」の反論として
では「行動はどうするの?」「どうやって方向性を定めるの?」
という問題点を挙げられることが多そうですけど、
ランナー、とりわけブログを書いているランナーの方たちは
上記の反論をカバーしつつ実際にそれを体現していらっしゃるので、
色々理にかなっていて凄いなーと密かに思っています\(^o^)/
(2)願望に執着せずに柔軟であること
でも強く願うことには落とし穴があって、
私のように頑固というか、
悪く言えば思い込みが強い人間にとっては\(^o^)/
気を付けなければいけないと自覚していることがあります\(^o^)/
強く願うことは必要ですけど、
それが強すぎて
冷静な判断ができなくなり
執着になってしまうと
余計な焦りや不安を生んでしまい、
目標の達成を阻害してしまうこともあるということ。
それだけではなく、好きで始めたことを
憎んでしまうことにもなりかねないということ。
基本的に年に4人しかプロになれないプロ棋士の世界には
プロ養成機関として奨励会があり、そこでしのぎを削る若者達の
将棋への愛憎を描いている「将棋の子」という名著があります。
その著書の中でプロになりたいと心の底から強く願っても、
それに近づけない時、それが叶わなかった時、
将棋を憎んでしまう人もいると描かれていました\(^o^)/気持ちは分からないではない
将棋もマラソンもそうですけど、
期待や思い込みなどの願望が
思い通りにいかなかったりすると、
願望は執着に変わり、
対象に失望したり憎悪してしまいがち。
でも対象は自分を映し出す鏡のようなもので、
失望や憎悪はもとをただせば、
自分の欲や不安などの弱さの裏返しにすぎない。
対象はただそこにあるだけで
自分に何か嫌がらせをしているわけではない。
なので自分の欲や不安などの弱さを自覚して、
あるがままの現状という受け入れがたいものを受け入れて
より良くしていく柔軟さも必要になるという。
時間の分散、対象の分散、リスクの分散、環境の分散など
執着を軽減させる方法も色々ありますけど、
そもそも対象への正しい向き合い方とはなんだろうと
考えてみたときにふと思い出したのが「吾唯足知」でした\(^o^)/
(3)吾唯足るを知る
京都の龍安寺のつくばい(縁側近くの庭に備えてある手を洗う所)には、
「吾唯足知」の4文字が刻まれています。
ちょっと分かりづらい(写真がうまく撮れなかった)、
ので頂いた御朱印の一部も併せて表示\(^o^)/
これ、最初面白いなーと感嘆したんですよね、
吾
知 唯
足
という文字配列になっていて、
各漢字で共通する中央の口という部分が
手を洗えるようにぽっかり空いているという\(^o^)/すごい
そして意味も煩悩を捨てきれず
欲や不安に左右されがちな私にとって\(^o^)/人間だもの
「今の現状に満足して感謝しなさい」という
戒めとして心にとどめておきたい内容。
でもここ半年でそれだけだと若干物足りなさも覚えるようになっています\(^o^)/
為政者が民衆の不満を抑え込むための解釈という説もあるみたいですし\(^o^)/
偉い人の解釈に文句を言う気はさらさらないのですけど
村上春樹さんの「風の歌を聴け」でめちゃくちゃうろ覚えですけど、
主人公とその友人の鼠との間で
バーで飲みながら以下のような会話があったと記憶していて、
主人公
持ってないやつは一生持てないとびくびくしているし
持ってるやつはいつか失うんじゃないかとびくびくしているし、みんな同じ。
だからそれに気づいたやつは少しでもましになれるようにするべきなんだ。
鼠
おいおい、あんたそんなこと考えて実行してんの?本当に?
主人公
ああ
鼠
(少し考えて)嘘だと言ってくれないか
\(^o^)/鼠、好きなんですよね。
若い頃に読んだ時は、いろんな状況になっても自然に
「より良くしていく」という生き方ができたらなーと感銘をうけたものですが、
そんなにストイックな人間ではないので
昨日も「この焼き菓子、チョコレートの控えめな甘さに
塩味が良いアクセントになってすごく美味しい」と妻へのお土産のお菓子を
ばくばく食べたりして体重もすぐに増えてしまう人間なのですが、
「吾唯足るを知る」という言葉の解釈として
より良く生きる、
でも状況はその時々で変わる
という大前提のもと
その時々の状況を判断しながら
その時々のベストを積み重ねる。
でも、それは常に+とは限らない、
+-0で維持するだけもいいかもしれないし、
-を最低限にとどめることかもしれない、
その時々のベストは何かを判断して
ベストを尽くせたことに感謝する。
というように解釈したら良いのかなー
とここ半年で思うようになりました\(^o^)/全然明後日の解釈でしょうけど
なんで今更こんなことを書くかというと、
別に誰かに何かを言われたというわけではなく\(^o^)/辺境ブログなので
優先順位高めで取り組んでいることについて、
当初は睡眠時間を削りまくって、
可能なら2~3年で結果を残そうと
がむしゃらに取り組んでいたんですけど、
人間は一定期間寝ずに、加えて高負荷のストレスにさらされ続けると
わりと簡単に壊れて中々治らないということが
身をもって分かったからです(笑)
しかも体調が良くないと色々調子もいまいちという状態が続いて、
4~6年で結果が残せるように少しペースと落としつつリスクを減らしたら、
いろいろ調子がまた良くなってきたということもあったからです\(^o^)/今更
でもがむしゃらにやったことが失敗だとは思ってなくて
その方法でうまくいく可能性もあったけど、
その方法では若くない私ではうまくいかないということが
分かったという成功だと思っています\(^o^)/
勿論ペースを落とすことで環境の変化という別のリスク要因も出てきますけど、
それは仕方がないと割り切ります。
なので強く願うことは必要ですけど、
それが執着になってしまい、冷静な判断ができない
ということがないように、願望に柔軟でありつつ、
その時々でのベストを尽くせたら満足して感謝する
ということも大事なのかなと最近思っているので
備忘録のために書いておこうと思った次第です\(^o^)/少しでもましな人間になりたい
(4)その時のベストを尽くすこと
夜久弘さんの著書「ウルトラマラソン 完走の幸せ リタイアの至福」の中で
述べられている「ウルトラマラソンは完走するか、しないかに価値があるのではない。
長大な道のりの中で自分らしさを、発揮すればそれで良い」
という持論は概ね賛意を得られたそうです。
また「ウルトラマラソンはそれぞれがそれぞれの状態でベストを尽くす舞台だった。
いまある状態でどんな走りができるのか、そのことを知るために走っている」という記述も著書の中でありました。
フルマラソンよりも長い時間がかかるため、より不確定要素が多い
ウルトラマラソンの中で、いかに状況に応じながらベストを尽くしていくか
という点でより人生に近いのでしょう。
色んな方の(ウルトラ)マラソンのレポを読ませてもらっているのですが、
当たり前のように起きるアクシデントにも、
皆さんそれぞれのベストを尽くして対応されていて、
参考にさせてもらっています\(^o^)/むしろすんなりいくレースは殆どみかけない\(^o^)/
ということで、色々踏まえたうえで、
2週間後のえちごくびき野100kmマラソンの目標は
「制限時間である13時間30分以内での完走!」
にします。
なにやら長々書いてきてことの全てが言い訳みたいになってしまいましたが
ここで無理すると完走どころか、故障の再発のリスクが高まるので
(普通に走っても故障のリスクは高いですけど\(^o^)/)
今回は故障が回復して参加できることに感謝して走りたいと思います\(^o^)/
強く願うけど、どんな状況になっても執着に変わらないように柔軟に、
客観的に判断して、その時のベストを尽くす、を忘れないように\(^o^)/
どんな地獄が味わえるか今から楽しみです\(^o^)/
今回の内容は色々あれな内容ですけど、
今更なので備忘録として残しておきます\(^o^)/
後で読み返すと自分のブログも意外と面白かったりしますし\(^o^)/
もっと推敲しろとも思いますけど\(^o^)/